上流工程の経験がないエンジニアが最初にやるべきことは、「上流の案件に応募すること」ではなく、「上流の成果物を一つ自分で作ってみること」です。業務フローを1枚描き、ヒアリングの型を覚え、今いる現場で仕様の背景を聞くところから始めれば、実績がなくても話せる材料ができます。この記事では、その順番と具体的なやり方を紹介します。
「上流の経験がない」が意味すること
求人や案件で「上流経験あり」と書かれているとき、求められているのはおおむね次のような仕事です。
- 顧客の業務を理解し、現状を整理する
- 困りごとを聞き出し、課題として整理する
- 解決後の業務の姿を描き、顧客と合意する
- 作る範囲(要件)と費用(見積もり)を決める
実装の経験が長い人の多くは、このうちの最後の段階で「決まった要件」を受け取ってきました。つまり、経験がないのは「要件ができる前」の部分です。
ここで大事なのは、上流工程は特別な才能ではなく、いくつかの型の組み合わせだという点です。業務フローの描き方、ヒアリングで聞く項目、課題の分解の仕方には、それぞれ決まった進め方があります。型を知って一度手を動かすだけで、「経験ゼロ」から「型を使ったことがある」状態に変わります。
最初の一歩は業務フローを1枚描くこと
一番取りかかりやすいのは、業務フロー(ASIS業務フロー)を描くことです。顧客がいなくても、身近な業務を題材にすぐ練習できます。
描き方の基本
- 題材を1つ決める(経費精算、備品の発注、勤怠の締めなど)
- 関わる人を洗い出し、人ごとに横長のレーンを作る
- 作業を時間の順に並べ、1つの箱に1つの作業だけを書く
- 紙・メール・Excel・電話など、システムの外でのやり取りも矢印で書く
- 分からないところは「?」のまま残す
例えば経費精算なら、「申請者」「上長」「経理」の3レーンになります。申請者が領収書を撮影してExcelに転記し、上長がメールで承認し、経理が会計ソフトに手入力する、と描いていくと、転記が2回発生していることや、承認待ちで止まりやすい箇所が見えてきます。
描き終えたら、作業の箱ごとに「1回何分くらいかかりそうか」を書き込んでみてください。推測で構いません。時間を書くと、どの作業が重いかの見当がつき、次のヒアリングで確かめたい点がはっきりします。
この「見えてきた」感覚が、上流工程の入り口です。業務フローがあれば、次に何を聞けばいいかが分かります。描き方の詳細はASIS業務フローの記事と、FDEガイドのASIS業務フローにまとめています。
よくあるつまずき
実装経験のある人が最初に描くと、システムの画面遷移図になりがちです。業務フローは人の動きの図なので、「誰が」「何をするか」を主語にして書きます。画面の名前ではなく、作業の名前で箱を作るのがコツです。
次はヒアリングの型を覚える
業務フローを描いたら、身近な人に10分ほど話を聞いてみます。このとき、ただ話を聞くのではなく、次の3つに分けてメモします。
| 分類 | 意味 | 例 |
|---|---|---|
| ASIS | 現状どうやっているか | 領収書をExcelに転記している |
| TOBE | どうなってほしいか | 撮影したら金額が自動で入ってほしい |
| GAP | あるべき姿と現状の差 | 転記の手作業が月に何回、何分発生している |
話し手は、このうち1つしか話さないことがほとんどです。「〜したい」と言われたら「今はどうやっていますか」と現状を聞き、「〜が困っている」と言われたら「どうなっていたら助かりますか」とあるべき姿を聞き返します。
もう一つの練習は、「大変なんです」と言われたときに「1回何分くらいですか、月に何回ですか」と数字を聞く習慣です。数字があると、どの課題が大きいかを比べられます。このあたりの型はヒアリングの記事とFDEガイドのヒアリング講座で詳しく扱っています。
今いる現場で上流に触れる方法
練習だけでなく、今の実装案件の中でも上流に近づく方法があります。いきなり役割を変えてもらう必要はありません。
仕様の「なぜ」を聞く
チケットや設計書を受け取ったら、「この機能は誰のどんな作業を楽にするものですか」と一度聞いてみます。答えが返ってきたら、それを業務フローの1行として書き留めます。続けていくと、担当システムの周りの業務が少しずつ見えてきます。
打ち合わせの議事録を引き受ける
要件の打ち合わせに同席できるなら、議事録の担当を申し出てみます。議事録を書くには、誰が何を決めたか、何が未決かを整理する必要があり、それ自体が上流の訓練になります。議事録の最後に「決まったこと」「次に確認すること」を分けて書くだけで、打ち合わせの質も上がります。
実装中に見つけた業務の矛盾を伝える
実装していると、「この条件のときはどう動くべきか仕様に書いていない」という場面に出会います。そのとき、単に質問するのではなく、「このケースは業務上こういう場面で起きそうですが、AとBどちらが正しいですか」と選択肢つきで聞きます。条件の組み合わせを網羅して抜けを探す考え方は、FDEガイドの俯瞰思考が参考になります。
1か月でできる練習プラン
最初の1か月の目安を示します。平日の空き時間と週末で進められる量です。
| 週 | やること | できあがるもの |
|---|---|---|
| 1週目 | 身近な業務を1つ選び、ASIS業務フローを描く | 業務フロー1枚 |
| 2週目 | 業務に関わる人に10分ヒアリングし、ASIS・TOBE・GAPに分ける | ヒアリングメモ |
| 3週目 | メモを課題一覧表にまとめ、一番大きい課題を3階層に分解する | 課題一覧表、イシューツリー |
| 4週目 | 課題が解けた後の業務フローを描き、変わった箇所に印をつける | TOBE業務フロー |
4週間たつと、ASIS業務フロー、課題一覧表、イシューツリー、TOBE業務フローという、上流工程の主な成果物が一通り手元に残ります。題材が社内の小さな業務でも、面談で「上流の進め方を一通り試した」と具体的に話せる材料になります。課題の分解はイシューツリーの記事を参照してください。
練習の成果を応募や面談でどう伝えるか
練習で作った成果物は、上流案件に応募するときの材料になります。ただし、伝え方を間違えると「練習しただけ」と受け取られてしまいます。次の3点を意識すると、経験として伝わりやすくなります。
何を題材に、何を見つけたかを話す
「業務フローを描きました」ではなく、「経費精算の業務フローを描いたところ、領収書の金額を2回転記していることが分かり、ヒアリングで月の件数と時間を確かめました」のように、見つけたことと次にとった行動を話します。上流で評価されるのは図のきれいさではなく、図から何を読み取ったかです。
実案件の経験とつなげる
練習だけを話すより、今の実装案件で仕様の背景を聞いた経験や、議事録を担当した経験と組み合わせて話すと説得力が増します。「練習で覚えた聞き方を、今の現場の仕様確認で使っています」と言えれば、型を実際に使っていることが伝わります。
できないことは正直に言う
「要件定義を一人で回したことはまだありません」と伝えた上で、「業務フローと課題一覧表までは作れます」と、できる範囲をはっきりさせます。上流案件では、できる範囲とできない範囲を正確に伝えられること自体が、顧客と仕事をするうえで大切な力として見られます。
面談の準備については上流・FDE案件の面談の記事で詳しく扱っています。
最初の一歩で避けたいこと
- 資格や本から入りすぎる:知識を集めるだけでは、成果物が残りません。まず1枚描いてから、足りない知識を補う順番の方が進みます
- いきなり大きな業務を題材にする:受発注全体のような大きな業務は、最初の練習には重すぎます。関わる人が3人程度の業務から始めます
- 完璧に描こうとする:ASISは仮説で構いません。分からない箇所を残すことで、次に聞くことがはっきりします
- 実装の経験を捨てようとする:作れる人が上流を理解すると、「それは作れる」「それは時間がかかる」を顧客の前で判断できます。実装経験は上流でも強みになります
この記事のまとめ
- 上流工程の経験がないとは、多くの場合「要件ができる前」の仕事をしたことがないという意味
- 最初の一歩は、身近な業務のASIS業務フローを1枚描くこと
- ヒアリングでは、話をASIS・TOBE・GAPに分け、困りごとは数字で聞く
- 今の実装案件でも、仕様の「なぜ」を聞く、議事録を担当する、矛盾を選択肢つきで伝えることで上流に近づける
- 1か月の練習で、上流の主な成果物が一通り手元に残る
- 実装経験は捨てずに、上流での判断材料として活かす
業務を読む練習から始めたい方は、ロードマップのステップ1「業務を読む」に、業務フローとデータ、IR資料の読み方をまとめています。続けてステップ2「聞く」に進むと、ヒアリングの型と課題一覧表の作り方を順番に練習できます。
